人生の真の幸福はチャレンジの連続の果てに必ず存在する
2009.03.19
カテゴリー:
- その他
人は変化することに本当に臆病な生き物である。
それを最近つくづく思う。
自分は10代の頃に、東京都最大級の走り屋チームのリーダーをやっていた。
走ることによってしか自己表現できない哀れな自分たち。
走ることによって社会に何かを発信しようとしていた。叫んでいた。
だけど、人に迷惑を掛けてやることじゃない。
だから街中で騒音を立てることは禁止。
そんな規則がある走り屋チームだった。(今思うとてんでおかしい)
それでも刹那なバイクの世界である。
規模が大きくなるとあっという間に暴走族のような泥沼の抗争に巻き込まれていく。
埼玉や千葉のチームと抗争していた時は、毎日が生きるか死ぬかみたいな雰囲気で、家族が巻き込まれないように家を出て一人暮らしの仲間の家にいた時もある。
その抗争のまっただ中に仲間の一人が事故で死んだ。
事故現場でヘルメットを脱がすと、耳から真っ赤な鮮血が流れ出た。
その瞬間を今でも昨日のことのように覚えている。
確かに、死んでしまったらおしまいだ。
しかし、彼は時速200kmの風を感じたくてチャレンジをして死んだ。
チャレンジしてこそ人生がある。
その信念は今でも変わらない。
チャレンジのない、変化のない人生など、毎日がただ食べるだけ、寝るだけの養豚場の豚と何ら変わりがない。そりゃ病気もしないし大きな怪我もないだろう。
だけど、そんな人生を100年生きたって何の価値もない。
そういう人生観が醸成されたのはこの頃ではないかと思う。
一方、どんどんと人が入って大きくなる激動の我が社。
それでも100人にも満たない中で、安定志向の大企業病が発生する。
20代のたかだか年収数百万で、安定感もクソもあるか。
そう思ったときにはっと血の気が引いた。
他でもない、社員をそう飼い慣らそうとしていたのは誰でもない自分ではなかったか。
管理化を進め、制度化を進め、安心感と安定感を提供する。
いつの間にか養豚場の経営をしていた。
人生の真の幸福は
チャレンジの連続の果てに必ず存在する。
その結果がどうかなんて関係ない。
自らどんどんと変わっていく。案ずる前に足を動かす。動かしながら考える。
それを社員に伝えていかなくてはいけない。
そういうチャレンジ精神あふれる社員が集まる会社が、自分の理想なのだ。
そして21世紀の、先進国である日本の、中小企業の理想であるはずなのだ。
その理想へのチャレンジをやめてはいけない。
※養豚場関係の方を決して卑下、否定しているわけでありませんのでご了承願います。念のため記しておきます。